久し振りに東京に行きました。えぇ、仕事関係でね。
普段は田舎で暮らし、移動はもっぱら車。人混みと言えばせいぜい夕方のスーパーマーケットくらい。そんな生活を送っている自分にとって、TOKYO、SHINJUKUといった都会のガチ人混みはもはや別世界。
そもそも東京に行く=特別なイベントのみ、という人生でしたから、東京に行くというだけで大事件。色々な衝撃に見舞われるのです。
仕事の出張で東京へ。東京経由で飛行機に乗ることもあれば、東京の真っ只中が目的地の場合もあり。それはもう重要度の高い仕事でありまして、基本的にはしんどい思い出になります。
プライベートで東京へ。東京経由で遠出することもあれば、東京のライブに参戦することもあって。それはもう思い出に残りまくるイベント事なわけですよ。
東京に行く度に何かが起こる。
心に大きなパンチをくらう。
良くも悪くも刻印が刻まれて行く。
やっぱりすげぇなぁ、東京って奴はよぉ。
東京で感じる物は色々あるとして、やっぱり大きいのはその「ひとの多さ」ですよね。田舎に住んでいるとまず体験出来ない、あの圧倒的な物量。一体何人のひとを視界に映し、すれ違ったのか。
桁違いのお金持ちもいるでしょう。
スーパーエリートみたいなひともいるでしょう。
日々の暮らしで精一杯なひとだっておられるでしょう。
老若男女はもちろん、幸せなひと、辛いひと、色んなひとがひしめき合う。
奇抜なファッションのひとも居れば、特異な人生を送るひともいるでしょう。
まるで大海原を見て自らのちっぽけさを痛感するような感覚で、大量の「ひと」の中に埋もれることでもまた、自分のちっぽけさを知る。良い意味でね。
自分が〇か×かは知らんけど、まぁこの人混みの中には立ってて良いんだよね?
みたいな、わけの分からない「存在許可証」をもらうかのうような。不思議感覚を持つのは私だけなのでしょうかね。
そして久しぶりに感じた、路上で暮らしているであろう方々の気配。
妙に大きなダンボールで組み立てられ、ぽつぽつと並ぶナニモノか。
そこから無造作に放り出され、膝先部分だけが見えている足。
田舎だったらそれだけで大事件。日常では目にすることの無い風景。
ぎょっとしてから「あぁ、風をしのいでここで寝ているのか」と理解するまで数秒を要し、そちらを見ないように意識しながら人の流れに戻って行く。
あーだこーだ言ったって、田舎でのうのうと生きている自分なんてこんなものですよ。
〇か×か、良いか悪いか、上か下か、そういうのは置いといて。
帰る家も、明日食べる物も、きっとその内会える知人も、遊びたいゲームもある。
しんどいなぁなんて歩いていても、今夜帰ればお布団は暖かいんだろう?
君はそのままで良いんだ。ひとはそれぞれなんだよ。という自己肯定感。
てめぇの苦しみなんざゴミカスよ、と喉元にナイフを突きつけられるような緊張感。
大都会東京から勝手に色々なギフトを受け取りながら、無事帰宅。
しっかりとストレスにやられ、けれどもひとつのバッドイベントは確実に過ぎ去り。
何かを得たような、失ったような、なにひとつ変わらないような。
人混みは苦手なんだけれど、不思議とまたあの「混沌とした集合体」の中に身を委ねたいような気もして。
またひとつ、華の都の思い出が増えましたとさ。